追悼 どんと(久富隆志)とROSA
LUXEMBURGのこと
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ex.ROSA LUXEMBURG 、ex.BO GUMBOSのどんと(久富隆志)氏が旅行滞在中のハワイの病院で9時15分(日本時間1月28日4時15分)に亡くなられました。 訃報を聞いてから、数日たった今も何が起きたのかまだ信じられない。 まるで封印するかのようにBO GUMBOSには接触しなかった、あまりロック聞かなくなっていた時期でBlankeyしかライヴ行って無いというのもあったけど。
享年37歳。僕の2つ上、90年1月27日に江戸アケミが亡くなって10年だという、そのアケミが亡くなった日の一日後(2000年1月28日、現地時間にすると同じ日・・・)だった。
湿っぽい言葉はどんとには似合わない。 |
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ROSA LUXEMBURGというバンドはじゃがたら、Roostersとならび自分の中でもっとも大切なバンドです。大江が抜けたあとRoosterz聴かなくなったんですが「FOUR
PIECES」で三原がメンバーになったというので、また聴きはじめたと言うぐらい、ローザのプライオリティは高かった。 初めてのライヴを磔磔で見られたことは幸いだった、チケットも今のぴあのような無味乾燥な物で無く尾おそらくメンバーの手作りであろうと思われるサイケデリックな模様の描かれた物でした(実家探せば半券あるはず) 玉城宏志 この人のギターが好きだった。気持ち良さそうに縦横無尽にギターを弾く姿。メンバー4人が全てヴォーカルをとれ、曲を作れる。 ライヴバンドである。レコードでは(ライヴ盤でも)このバンドの魅力を伝えることはできなでしょう、普通 はレコードにおさめられた音を再現するというライヴが多い中、このバンドは録音されたものはその時のバリエーションの一つでしか無いという感じで 音は説明の仕様が無いが、フォーク+ニューウェーヴ+ファンク+サイケデリック+Etcと言うような感じか? ライヴの雰囲気が好きだった、どんとの人柄がにじみ出ていたがための心地のよい雰囲気だったと思う。 ”在中国的少年”(初めて聴いた時ボサノババージョンでした、アンコールで通 常バージョンもやりましたが)のどんとと玉城の掛け合いのセリフは毎回違い、何を言うのかが楽しみでした。 後期なんかバンドがうまく回って無いようでちょっと心が離れてしまい、渋谷エッグマンでの解散ライヴも見に行かなかった(後悔)ライヴ盤「LIVE AUGUST」を買った時に限定でLiveVideoの販売があったのだけれど、 当時10000円というお金が用意できず買わなかった、これも今となっては無理してでも買っておけば良かった、メジャーから出たものでは無いため今入手することは困難である。 恥ずかしながらヴェルベット・アンダーグラウンドを知ったのはローザがスゥイート・ジェーンをカヴァーしていたのを聴いてからである。ジミ・ヘンドリックスやストーンズ、ベルべッツなんかをよくカヴァーしてた、ライヴでは。 実質メジャーデビューしてからは2年程の短い活動だったけど(1986年 2月21日デビュー87年8月解散)僕が受けた影響ははかり知れないものがある。 こんなバンドもう2度と出てこないだろう。唯一無比の存在。 ※ローザ・ルクセンブルクとはポーランド生まれの婦人革命家(Rosa Luxemburg,1871〜1919)からとったバンド名です。 *1:この歌のジュリーとは”河原町のジュリー”という実在の浮浪者のことを歌ったもの。高校当時”河原町のジュリー”を知らない者はいないという程有名な浮浪者だった。歌に出てくるように姿を消したが凍死したという噂は事実かは不明。 |